高麗人参 歴史

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高麗人参の歴史とは

高麗人参は、薬用人参、御種人参、朝鮮人参といった名前で古くから知られていますが、私達が日常で食べる野菜の赤い人参とは全く関係ありません。
野菜の人参も体に入ると、ビタミンAに変わるカロチンを多量含む緑黄色野菜として、栄養価の高い食べ物ですが、高麗人参のような広範囲な効能は持っていません。

 

高麗人参がウコギ科の植物なのに対して、人参はセリ科のキャロットという植物で、形は似ていますが全くの別物です。

 

高麗人参の生まれ故郷(原産地)は、中国の東北地区(旧満州)と北朝鮮の国境となって流れるヤールー江の両沿岸地方と言われています。

 

現在でも中国東北部の長白山脈や、朝鮮半島の山中、シベリア東南岸部に、わずかに自生していますが、大半は栽培品で、生産地は吉林省を中心とした中国、大韓民国、北朝鮮、そして日本です。

 

この量産栽培化に成功したのは、いずれの国も250?300年前の頃です。

 

中国では紀元前の漢の時代から使われていましたが、日本に渡来したのは奈良朝天時代とされ、天平11年(739年)渤海の死者が天皇に奉じた記録が残っています。

 

もちろん野生の高麗人参で、奈良の正倉院の御物の中にも保存されています。

 

現在日本での栽培は、大根島を主体とする島根県、会津若松を中心とする福島県、丸子、上田地方を中心とする長野県で盛んで、3大産地となっています。

 

江戸中期徳川吉宗の時代に日光の幕府御楽園で人参の栽培に成功し、その種子を幕府は各藩に分与して人参の栽培を奨励しました。

 

その中でも、徳川の親藩、出雲雲州の松江藩、陸奥の会津藩で特に盛んとなり、更に明治の初期に到って、会津から信州に種子が移入され、今日の3大産地が形づくられました。

 

日本で栽培された人参は、大半が蒸されて紅参にされ、輸出されています。

 

特に島根県大根島産の人参は、雲州人参と呼ばれ、その調整の良さから、最上品とされ、香港市場で貴重品化されて高価に売買されています。

 

通常生薬として用いられるのは4~6年生のもので、6年生以上は栽培されません。

 

それ以上になると病原菌がつきやすく、せっかく育てた人参を腐らせてしまう事が多いからです。

 

そして、その後最低10年間は同じ土地で、人参を作ることは不可能となりこれが人参を高価にする理由の一つです。

 

それほど土地の養分を吸込んでしまう、という事でしょう。

 

無理に植えても、ネマドダという病虫害が起こり、まともに育ちません。

 

高麗人参は、白参と紅参(コウジン)に分類されています。

 

白参というのは、堀取った人参を、ひげ根及び外皮(周皮)を除いて乾燥した人参、又は外皮をつけたまま乾燥した生干人参(皮付人参)、及び外皮をつけたまま軽く湯通しして乾燥した人参(御種人参)を総称しています。

 

つまり蒸していない高麗人参です。

 

これに対して、紅参というのは蒸した高麗人参で、蒸されることにより、紅みがかった飴色となり、でん粉が凝固して質も堅くなります。

 

人参は非常に栄養価の高いものですから、害虫もつきやすく、保存するのに細心の注意が必要ですが、紅参にすると質が引き締まって堅牢となり、虫もつかず、長期保存ができ、輸出も容易になります。

 

韓国では6年生根で作った紅参は、塩と同様、政府の専売品で、日本、アメリカ、ヨーロッパに輸出されて、外貨を獲得しています。

 

 

金氏高麗人参